教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)教科書でおぼえた名詩 (文春文庫PLUS)
(2005/05)
不明

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頭使わない感じの面白い本が読みたいなあ。
そんな動機で手にとった一冊。(失礼過ぎる。。)まあ詩は理屈ではなくて感性で読むものだということで許してください。

それにしても懐かしい。
テスト前限定で暗唱したやつとか今でもまだ暗唱できるやつとか小学校の時毎朝みんなで読んだけどついに覚えなかったやつとか。好きだったやつもあれば偽善的すぎて嫌いだったやつもあり。授業中に読んでて泣きそうになった詩があれば課題として調べることになって提出日前に徹夜で解釈を考えて嫌いになった詩もあり。

あれだけ嫌いだった学校教育が。いつの間にか私の構成要素としてたぶん結構重要な部分になってて。どうして過去に対してはこうも寛容になれるんだろうね。
あの頃は教育とは結局マインドコントロールでしかないと思ってって。今もそういう風に思ってるけど、同時にそれはそれで仕方がないとも思ってる。マインドコントロール=悪っていう単純な図式から脱却できたからか、それとも善悪の判断をする最低限の道徳心がすり減ったからかは知らないけど。

最後に宮沢賢治の「雨ニモマケズ」について一言。
これは中学1年か2年の時の授業で先生が面白い話をしてくれたのを覚えている。この詩は彼にとっては敗北の詩だったという仮説。社会全体をよくしようという崇高な理想が現実の前で敗北して、生まれてきたのがこの詩だという話。なんかこの人悟ってるというか、その根底にあるのは社会に対する諦観なんじゃないかとか思ってすっかりその敗北説が気に入ったわけ。
今思えば敗北ってのとはちょっと違う気がする。達するべき境地に達したというか。心やすらかな感じがするもんね。

サウイフモノニ
ワタシモ
ナリタイ

まあご飯の内容だけはもうちょっとなんとかして欲しいけどさ。
 

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コメント

教育っていうのは、牙を抜くものだと思ってる。昔反発した道徳が、今受け入れられるとするならば、教育によって社会に適応した「よい」人間になったっていうことだろう。それは社会にとっては善だろうね。

結局は。反発しても一周して始めに戻っちゃうんだよね。

そうだね。別に間違ったこといってるわけじゃないからなのかもね。ただ証明が不十分だったり、わかっててもあんたに言われたくないとか思っちゃったりさ。結局は自分で体験した世界しか受け入れられないだけなのかも知れないね。
あるいは単に学生というのは反発するものだという社会的な役割に当てはめられてただけだったのかも。んで今は年相応に丸くなっちゃったと。笑
教育が牙を抜くもの。その感覚はあまり無かったわ。

矯正される、という感じかな。フーコーっぽく。
まあ今は何かに逆らって生きる気概もないね。笑
つっぱらかるのも考えすぎるのも、無駄に疲れるから。

行雲流水。それも悟りの境地だね。

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