4月から姉が超近所に引っ越してくる。どれぐらい近所かというと部屋の明け渡しの前に買ったカーペットをとりあえず私の部屋に置いておいてもそれほど移動に支障がない位である。最寄駅も一緒。最寄のコンビにも一緒。それでも一緒に住まないのは別に仲が悪いからというわけではない。寧ろ気持ち悪いくらいにいいと言える。
彼女は非常に短気な人だ。すぐ怒る。すごく怒る。だがその怒りは多くの場合長続きしない。小さいころから今に至るまで。喧嘩も多いが長引くことは絶対にない。おそらく喧嘩してからその状態が1時間以上続いたことはないと思われる。彼女のあっさり後に引かない人間性は大好きだが、だったら最初から怒るなよといいたいことがないわけじゃない。
喧嘩する度にこれからは付き合いを疎遠にしてやろうと思うのに、次の瞬間には和解することになるから結構親密な関係が続く。趣味が極めて近いために、気に入った音楽なり漫画なり小説なりをお互いに紹介すれば大抵相手にも好評価を得る。貴重な存在だろう。まあ向こうはどう思ってんのかは知らんが。
その彼女の引越しの手伝いで色々と忙しい日が続いている。どうやら彼女は私のセンスを過大評価しているようで、カーテンやカーペット選びなどにも私の助言を求める。無論ただ働きではなくご飯をおごってもらったりしているので不満はないが少し疲れた。そんなこんなでブログの更新にもあまり積極的になれない。疲れたんじゃなくて単に飽きたのか。そういう危惧も少しある。
今日の愚痴を少し。ニトリの店員の応対が。一人は5段階評価で5。もう一人は2。2の人は取り合えずお客様は神様だと3回唱えた後3時間くらい滝に打たれてきてください。あまりの感じの悪さに思わずぎりぎり声が届くか届かないかの瀬戸際で悪口いっちゃったよ。(陰湿。)5の人。寧ろ結婚して。
眠い。寝よう。
彼女は非常に短気な人だ。すぐ怒る。すごく怒る。だがその怒りは多くの場合長続きしない。小さいころから今に至るまで。喧嘩も多いが長引くことは絶対にない。おそらく喧嘩してからその状態が1時間以上続いたことはないと思われる。彼女のあっさり後に引かない人間性は大好きだが、だったら最初から怒るなよといいたいことがないわけじゃない。
喧嘩する度にこれからは付き合いを疎遠にしてやろうと思うのに、次の瞬間には和解することになるから結構親密な関係が続く。趣味が極めて近いために、気に入った音楽なり漫画なり小説なりをお互いに紹介すれば大抵相手にも好評価を得る。貴重な存在だろう。まあ向こうはどう思ってんのかは知らんが。
その彼女の引越しの手伝いで色々と忙しい日が続いている。どうやら彼女は私のセンスを過大評価しているようで、カーテンやカーペット選びなどにも私の助言を求める。無論ただ働きではなくご飯をおごってもらったりしているので不満はないが少し疲れた。そんなこんなでブログの更新にもあまり積極的になれない。疲れたんじゃなくて単に飽きたのか。そういう危惧も少しある。
今日の愚痴を少し。ニトリの店員の応対が。一人は5段階評価で5。もう一人は2。2の人は取り合えずお客様は神様だと3回唱えた後3時間くらい滝に打たれてきてください。あまりの感じの悪さに思わずぎりぎり声が届くか届かないかの瀬戸際で悪口いっちゃったよ。(陰湿。)5の人。寧ろ結婚して。
眠い。寝よう。
山梨県の昇仙峡にある影絵の森美術館。私が訪れたことのある数少ない美術館の中では一番好き。つーか飛びぬけて愛してる空間。
最近の若者はボキャブラリーが不足していて、あらゆる強烈な体験を全て「やばい」の一言でしか表現できないという話を聞いたことがある。おいしくても「やばい」。美しくても「やばい」。強い憤りを感じても「やばい」。ここでのやばいは危険だというよりは、程度の強さを表す形容詞として使われていて、どのようにやばいのかという肝心の内容は省略されてしまうよう。それでも伝わる。どうやばいのかは文脈から推察しなければならないというある意味での高等テクニックだと思う。
で、本題。あそこはホント、やばいです。
ここでどうやばいのかを説明することはできません。それこそ私の語彙力ではそれを表現することはできないのです。影絵の森というくらいですから。光と影の芸術の世界です。入ってすぐ空間は真っ暗。そこに輝く藤城清治さんの影絵達。シーズンオフの平日に行ったのが幸いしてほとんど貸切状態。
幸せでした。小学生の時一度行ったのを漠然と覚えていて、いつかもう一度行きたいと思っていたのですが。実家から日帰りで行くには微妙に厳しい距離だったので中々行けず。頑張って超早起きして行って来ました。
影絵ってやばいですね。
一度は訪れる価値あり。
せっかくなので今回訪れて中々よかったと思う美術館をいくつか。
ウルビーノのヴィーナス
上野の国立西洋美術館にて。
これは土曜日の10時から行きましたがやはりめちゃくちゃ込んでました。ですがこちらも一見の価値はありかと。ウルビーノのヴィーナスが素晴らしいです。美しくて吃驚しました。絵を見てこんなに吃驚したのは久しぶりでした。吃驚してきてください。
ポーラ美術館
箱根。箱根のこの辺には美術館が沢山あります。いいですね温泉と芸術と。
で、入館料が他より高くて思わずルートから外したくなるここ。やはり高いだけあっていいですね。何かちょっと悔しいけど。
私が行ったときは印象派の展示やってたんですが、次はシャガールなんかの展示するみたいで。どうせならシャガールの方がよかったのに。。
ちなみに、誕生月に訪れると105円のポストカードがもらえます。3月はモネの「散歩」でした。
横山大観記念館
超穴場。上野駅から徒歩。不忍池の近くです。
こんな素敵な空間があっていいのかっていうくらい素敵なところ。大観は建築家を目指したことがあったとかで、その住まいにも彼のこだわりが盛り込まれていて素晴らしいです。客間から見たときの庭とかね。
開いている日が少ないとのこと。あらかじめ確かめてから訪問したほうがいいかもしれません。
この辺にしときます。次は鎌倉を散策した思い出でも書くかも知れません。でも明日からまた旅行なのでしばらくブログの更新はお休みかもしれません。
久しぶりに。母校を訪れたことも書きたいのですが。それは私にとって強烈な体験ではあったけれどあまり幸せな時間じゃなかったから言語化するのがどうも。このブログ。実は現実の知り合いには一人も教えてないんですが。これ書いちゃうともう絶対誰にも教えられなくなるというジレンマ。
最近の若者はボキャブラリーが不足していて、あらゆる強烈な体験を全て「やばい」の一言でしか表現できないという話を聞いたことがある。おいしくても「やばい」。美しくても「やばい」。強い憤りを感じても「やばい」。ここでのやばいは危険だというよりは、程度の強さを表す形容詞として使われていて、どのようにやばいのかという肝心の内容は省略されてしまうよう。それでも伝わる。どうやばいのかは文脈から推察しなければならないというある意味での高等テクニックだと思う。
で、本題。あそこはホント、やばいです。
ここでどうやばいのかを説明することはできません。それこそ私の語彙力ではそれを表現することはできないのです。影絵の森というくらいですから。光と影の芸術の世界です。入ってすぐ空間は真っ暗。そこに輝く藤城清治さんの影絵達。シーズンオフの平日に行ったのが幸いしてほとんど貸切状態。
幸せでした。小学生の時一度行ったのを漠然と覚えていて、いつかもう一度行きたいと思っていたのですが。実家から日帰りで行くには微妙に厳しい距離だったので中々行けず。頑張って超早起きして行って来ました。
影絵ってやばいですね。
一度は訪れる価値あり。
せっかくなので今回訪れて中々よかったと思う美術館をいくつか。
ウルビーノのヴィーナス
上野の国立西洋美術館にて。
これは土曜日の10時から行きましたがやはりめちゃくちゃ込んでました。ですがこちらも一見の価値はありかと。ウルビーノのヴィーナスが素晴らしいです。美しくて吃驚しました。絵を見てこんなに吃驚したのは久しぶりでした。吃驚してきてください。
ポーラ美術館
箱根。箱根のこの辺には美術館が沢山あります。いいですね温泉と芸術と。
で、入館料が他より高くて思わずルートから外したくなるここ。やはり高いだけあっていいですね。何かちょっと悔しいけど。
私が行ったときは印象派の展示やってたんですが、次はシャガールなんかの展示するみたいで。どうせならシャガールの方がよかったのに。。
ちなみに、誕生月に訪れると105円のポストカードがもらえます。3月はモネの「散歩」でした。
横山大観記念館
超穴場。上野駅から徒歩。不忍池の近くです。
こんな素敵な空間があっていいのかっていうくらい素敵なところ。大観は建築家を目指したことがあったとかで、その住まいにも彼のこだわりが盛り込まれていて素晴らしいです。客間から見たときの庭とかね。
開いている日が少ないとのこと。あらかじめ確かめてから訪問したほうがいいかもしれません。
この辺にしときます。次は鎌倉を散策した思い出でも書くかも知れません。でも明日からまた旅行なのでしばらくブログの更新はお休みかもしれません。
久しぶりに。母校を訪れたことも書きたいのですが。それは私にとって強烈な体験ではあったけれどあまり幸せな時間じゃなかったから言語化するのがどうも。このブログ。実は現実の知り合いには一人も教えてないんですが。これ書いちゃうともう絶対誰にも教えられなくなるというジレンマ。
帰省していた間は電車の時刻なんかを調べたことを除いてほとんどネットをやらなかった。必要最低限(割引券を取る。)などには使用したが、あえて意識的にその他の要素を断絶していた。いつも家に帰るとまずPCの電源を入れる自分だが、なきゃないで別に普通に生きていけたり。その反面ウェッブの重要性を馬鹿みたいに過信してもいる。理解と実感が多少乖離している傾向にある気がする。
懐かしい友人の何人かと会ったが違和感の強さにびっくりした。彼女達とはもう8年くらいの付き合いになるわけで、一番多感な中学高校を共有したものだから関係性はある程度収束しているように思える。別に連絡を取らなくなってもあまり精神的に疎遠にあることはないし、マメにコンタクトを取ったとしても新密度がアップするわけでもない。彼女達を客観的に見ても好きだと思えるし、主観的にも居心地のいい相手だと思う。でもやはり地理的距離が離れると同時に属している環境がまったく異なってしまったわけで。昔は共有できていたはずの多くのものが今はもう共有できていないことが少し寂しい。価値観の違いというか、前提の違いというか。もう成り立っている法則も、自然定数も私とは違うのだと感じた。前提が違うから、議論ができない。前提について論じるのは酷く疲れるし、メンドウだと感じてしまう。
勿論自分とまったく同じ考えの人間を求めているわけではない。ただ相互理解に至らないのだという感覚がもどかしいだけだ。
だから友人に会って。嬉しいのと同時に悲しかった。海にもぐっているイメージ。周り美しい魚が沢山いて、海面からは太陽の光が柔らかく届く。波は穏やかでその攻撃性をさらすことなく、浮力は体と心を同時に軽くしてくれる。水を掻き分けながら、幸福だと感じる。だけどずっとそこにいることはできないし、この幸福は時間が限られた一時的なものでしかない。ずっとそこにいれば呼吸ができずに死んでしまう。彼女達といるのは、とても居心地がいいけれど、それは一時的なことで自分の本来的な居場所じゃないし、実は呼吸ができない。
1年前は感じなかったこと。自分はずっと連続で、微分可能な存在だと思っていたけど。本当は少しずつ何かが変わっていたんだ。改悪なのか改善なのかわからないけど。
それにあるいは。1年後にはまた彼女達に対してまた以前のような親しみを感じられる可能性もある。この激しい疎外感はおそらく私の内的問題に起因している。
今の自分の居場所はどこにあるのか。
その答えはまだない。
思うに。場所は探すというか、作らなければならないのかもしれない。川底に鎮座している石。ずっとそこにあったかのように違和感がない。でも新しい石を投げ入れれば、水面には波紋が現れ、石が落ちていく先にある水は押しのけられる。同様に、自分の場所を新しく作りたければ、多少の抵抗とエネルギーを使うのは必然なのかもしれない。そこにある空白にすべり込もうなんて、浅ましい考えなのかもしれない。
家族はいい。最初からそこにいることを許されている。犬はいい。自分がどんな存在にまだ落ちぶれても必ず受け入れて歓迎してくれる。
今回の帰省は楽しいものだった。前からずっともう一度生きたいと思っていた美術館にも10年ぶりくらいで訪れることができたし、自分が幸福だと感じられる瞬間も多くあった。ならば何故、更新再開の一発目の記事をこのような淋しい内容からはじめたのか。私は選ぶこともできた。自分が体験したいくつかの大切な思い出を、コミカルに多少誇張しながら語ることもたぶんできた。でもそれをすることはたぶん私にとっては意味がない。
あるいは。誰かに話を聞いてもらいたくて私はブログを作ったのかもしれない。それならば、真実を語らなければ意味は半減する。だが私は誰かの話を聞いているのだろうか?他者の話に耳を傾けているだろうか。わからない。
それにしても。花粉症が治まらない。。ここにはもう花粉はないはずなのに。。なんで。。
懐かしい友人の何人かと会ったが違和感の強さにびっくりした。彼女達とはもう8年くらいの付き合いになるわけで、一番多感な中学高校を共有したものだから関係性はある程度収束しているように思える。別に連絡を取らなくなってもあまり精神的に疎遠にあることはないし、マメにコンタクトを取ったとしても新密度がアップするわけでもない。彼女達を客観的に見ても好きだと思えるし、主観的にも居心地のいい相手だと思う。でもやはり地理的距離が離れると同時に属している環境がまったく異なってしまったわけで。昔は共有できていたはずの多くのものが今はもう共有できていないことが少し寂しい。価値観の違いというか、前提の違いというか。もう成り立っている法則も、自然定数も私とは違うのだと感じた。前提が違うから、議論ができない。前提について論じるのは酷く疲れるし、メンドウだと感じてしまう。
勿論自分とまったく同じ考えの人間を求めているわけではない。ただ相互理解に至らないのだという感覚がもどかしいだけだ。
だから友人に会って。嬉しいのと同時に悲しかった。海にもぐっているイメージ。周り美しい魚が沢山いて、海面からは太陽の光が柔らかく届く。波は穏やかでその攻撃性をさらすことなく、浮力は体と心を同時に軽くしてくれる。水を掻き分けながら、幸福だと感じる。だけどずっとそこにいることはできないし、この幸福は時間が限られた一時的なものでしかない。ずっとそこにいれば呼吸ができずに死んでしまう。彼女達といるのは、とても居心地がいいけれど、それは一時的なことで自分の本来的な居場所じゃないし、実は呼吸ができない。
1年前は感じなかったこと。自分はずっと連続で、微分可能な存在だと思っていたけど。本当は少しずつ何かが変わっていたんだ。改悪なのか改善なのかわからないけど。
それにあるいは。1年後にはまた彼女達に対してまた以前のような親しみを感じられる可能性もある。この激しい疎外感はおそらく私の内的問題に起因している。
今の自分の居場所はどこにあるのか。
その答えはまだない。
思うに。場所は探すというか、作らなければならないのかもしれない。川底に鎮座している石。ずっとそこにあったかのように違和感がない。でも新しい石を投げ入れれば、水面には波紋が現れ、石が落ちていく先にある水は押しのけられる。同様に、自分の場所を新しく作りたければ、多少の抵抗とエネルギーを使うのは必然なのかもしれない。そこにある空白にすべり込もうなんて、浅ましい考えなのかもしれない。
家族はいい。最初からそこにいることを許されている。犬はいい。自分がどんな存在にまだ落ちぶれても必ず受け入れて歓迎してくれる。
今回の帰省は楽しいものだった。前からずっともう一度生きたいと思っていた美術館にも10年ぶりくらいで訪れることができたし、自分が幸福だと感じられる瞬間も多くあった。ならば何故、更新再開の一発目の記事をこのような淋しい内容からはじめたのか。私は選ぶこともできた。自分が体験したいくつかの大切な思い出を、コミカルに多少誇張しながら語ることもたぶんできた。でもそれをすることはたぶん私にとっては意味がない。
あるいは。誰かに話を聞いてもらいたくて私はブログを作ったのかもしれない。それならば、真実を語らなければ意味は半減する。だが私は誰かの話を聞いているのだろうか?他者の話に耳を傾けているだろうか。わからない。
それにしても。花粉症が治まらない。。ここにはもう花粉はないはずなのに。。なんで。。
吉村先生のエジプト展。
これ行ってきました。
休日だったので人多かったですね。平日に行けばよかったと多少後悔。でもまあ魅力的な展示だったのでOKです。
エジプトの文明について沢山誤解をしていたわけですよ。実はピラミッドは王の墓ではないみたいですね。それは推論としては魅力的でも、裏づける証拠はないばかりか、反証となるような事実が多いようです。そしてピラミッドを築いたのは奴隷ではなくナイル川が氾濫している間失業することになる農民だったとか。そんな公共事業で就職口を国が確保なんて近代になってからの発想だと思ってました。
青いミイラマスクとか。すごい貴重品なんじゃないですかね?よく日本に持ち出せましたね。さすが吉村先生。。それにしても。200体見つけたというミイラの写真とかは全然なかったですね。発掘現場の映像が一瞬映ったくらいで。あれですか。やっぱりグロは禁止ですか。ちょい残念。
ちなみに前日にこれ一冊読んで軽く予習。
口語が読みやすく楽しめましたが、多少内容が軽いです。流し読みにいいかも。
それにしても。なるべく多く日記をつけることで自分の方向性というかブログの方向性を見ようと思ってたんですが。やはり毎日書くのは難しいですね。何をしたいのかよく自分でもわからないんですよ。
日常をコミカルに誇張して楽しい文章を書きたいわけでもないし、かといって書評とかエッセイとかを真面目に書くのもなんか違う気もする。ごく個人的な感情の流れを記録したいってわけでもない。必然性の不足かな。印象派っぽい画風も、超現実主義的な絵も両方描けるけど、どちらを選択するべきかわからないし、どちらにも集中しきれずに、作為の域をでないというか、不愉快な自意識が付きまとうというか。
ブログが手段なのか目的なのか。それがまず問題なのかも知れない。
これ行ってきました。
休日だったので人多かったですね。平日に行けばよかったと多少後悔。でもまあ魅力的な展示だったのでOKです。
エジプトの文明について沢山誤解をしていたわけですよ。実はピラミッドは王の墓ではないみたいですね。それは推論としては魅力的でも、裏づける証拠はないばかりか、反証となるような事実が多いようです。そしてピラミッドを築いたのは奴隷ではなくナイル川が氾濫している間失業することになる農民だったとか。そんな公共事業で就職口を国が確保なんて近代になってからの発想だと思ってました。
青いミイラマスクとか。すごい貴重品なんじゃないですかね?よく日本に持ち出せましたね。さすが吉村先生。。それにしても。200体見つけたというミイラの写真とかは全然なかったですね。発掘現場の映像が一瞬映ったくらいで。あれですか。やっぱりグロは禁止ですか。ちょい残念。
ちなみに前日にこれ一冊読んで軽く予習。
口語が読みやすく楽しめましたが、多少内容が軽いです。流し読みにいいかも。
![]() | 古代エジプト 埋もれた記憶 (2003/08) 吉村 作治 商品詳細を見る |
それにしても。なるべく多く日記をつけることで自分の方向性というかブログの方向性を見ようと思ってたんですが。やはり毎日書くのは難しいですね。何をしたいのかよく自分でもわからないんですよ。
日常をコミカルに誇張して楽しい文章を書きたいわけでもないし、かといって書評とかエッセイとかを真面目に書くのもなんか違う気もする。ごく個人的な感情の流れを記録したいってわけでもない。必然性の不足かな。印象派っぽい画風も、超現実主義的な絵も両方描けるけど、どちらを選択するべきかわからないし、どちらにも集中しきれずに、作為の域をでないというか、不愉快な自意識が付きまとうというか。
ブログが手段なのか目的なのか。それがまず問題なのかも知れない。



