皆さん初めまして。こんなネットの片隅の辺境に遊びに来てくれてどうも有難う。
まだ何にもないしこれから面白い何かが生まれる予定も当分はないけど、誰かが通り過ぎてくれたという事実が単純にすごく嬉しい。
このブログは100%自分の為に開設したもの。自分の精神的活動を好き勝手吐露するだけの、自己満足という言葉が最適な内容にしかならないと思う。自分が色んなこと、それは今大学で勉強していることだったり、世界で起こっている問題であったり、最近読んだ本の内容だったり、あるいは家族や人間関係の問題だったりを、建設的に創造的に考えていく為に用意した場所。自分で自分を好きでいられるように、どうにかこうにか磨耗していく向上心を維持する為に作りました。だから本当はこんなのは万人に開放するような性質のブログではないかも知れない。でもどうせ公開しても誰も見ない公算の方が高い。そんなあんまりな事実を免罪符に、パスワードなんかは設けないことにしました。笑
私はたぶん文章を書くのが好き。人を笑わせるのが好き。そういうのを万人に公開する機会が得られたことは、すばらしいことだとは思うけど、同時に怖くもある。私は今までものすごく受動的に生きてきた。でもこれからは能動的に生きて、その自分の努力の結果というものを他者に評価されなければならない。自分の価値が外側から決められて、自分という人間が他者の中である像を結び分類されていく。別にこんなことは今までも普通に起こってきたことだけど、改めて考えてみるととても怖いことだと思う。でも、怖いってことと悪いってことはイコールじゃない。恐怖感は正常な感覚だし、それはきっと克服可能なものだと思う。
前置きが長くなってしまったけど。このブログを開設した直接の理由の話をしようと思う。
直接な理由ではあるけど、それはきっと理由の全てではない。
例えば、水が限界まで入っているコップがあるとする。もうコップの淵よりも高いところまで水がきていて、表面張力だけでなんとかこぼれないでいる不安定な平衡状態。そこに最後の一滴の水が注がれれば、水はきっとあふれてこぼれてしまう。確かに水をこぼしたのはその最後の一滴だけど、その一滴が最後になるまでの過程がなければ、その一滴はこぼれなかった。
私にとってのその一滴がこの本。
梅田さんの本は今まで何冊か読んだことはあった。ウェブ進化論、フューチャリスト宣言、ウェブ人間論。そのどれも面白かった。はじめはただただ感心して読んで、(そのおかげで随分なグーグル信者になりました。笑)、次に少し彼のあまりにも明るい人間観に懐疑的になって、今はものすごい焦燥感を覚えたり、悲しくなったりする。
彼の著作の中に出てくる人間たちは誰も彼も若さと情熱があり、可能性にあふれ、そして最終的に善良だ。彼の中の人間があまりにも性善説なんで、私はひたすらそのことに衝撃を受けるのだ。
資本主義は人間の本質は性悪説だと、それが大前提になっているように私には思える。競争を強制することによってクオリティーを保つ。そのメカニズムが狂わないように独占禁止法とかでフォローする。あたかも部屋を片付けることでエントロピーを一定に保つように、外部から自然な強制力が働くシステムを維持することで、市場を正常に保とうとする。そしてそのシステムとは、自然界が自然に採用してきた競争原理であって、原動力は自己を利っして保存したいという欲望であり、これこそが人類がたどり着くべき最終形だ。今は市場が発展していくその過程ではなく、状態はすでに収束するべき場所に収束しつつあるのだ。資本主義者たちはそう考えている気がしてならない。そしてその大前提はやはり、力が働かなければ状況を保てないという、人間=悪の思想だと思えてならないのだ。
だが、梅田さんの描く世界はそれとは違う。人間の善性を前面に押し出したものだ。
勿論、人間の本性を、善悪だけで語ろうとは思わない。そこまで安易な二元論に走ろうというのではない。善悪は、階層構造になっている。私は日々そう思っている。その階層構造という考えのヒントになっているのは、高校の時にみた物理のビデオだった。
それは非常に興味深いものだった。もう詳細は覚えていないが、縮尺を切り替えていくのだ。10倍、100倍、1000倍。例えば自分の手をじっと見てみる。その手は触れる。物質が隙間なく詰まってるように見える。密の世界だ。じゃあそれを拡大してみればどうだろう?やがて原始の世界にたどりつく。原子は疎の世界だ。原子の核の周りに電子が回っているけれども、その空間の中で原子核と電子が占める体積はあまりにも小さい。つまりスカスカの疎の世界だ。そしてこの構造は階層的に繰り返される。疎と密が交互に現れる。地球の密で、太陽系は疎で、天文的なレベルまで拡張されていくのだ。
人間の善悪も同じではないのか?視点を切り替えれば、善にも悪にもなりえる。一人一人の人間の本性は善でも、社会の中では必ず何%かが犯罪を犯す。それは社会の構造自体がそうなっていて、きっとそれは人間の構造のフラクタルでもあるのだ。
私はまだ人間の善悪を止揚できるような哲学は得ていない。でも梅田さんはひたすら人間の善性を前面に押し出している。私にはそれが眩し過ぎてたまらないし、この人本当にこんな明るいアウトルックを持っているのか疑いたくなってしまう。
もう一つ。彼の中の人間はあまりに向学心にあふれている。
3度の飯より好きなことを持っている人間がいったいどれだけいるというだろう?少なくとも私は持っていない。中学生のころは、ご飯を食べるより、漫画を読みゲームをやっていたほうが幸せだった。でも20歳になった今、漫画もゲームも好きには違いないけれども、自分の人生をかけたいと思えるほどではない。
全ての人間が自分の特性を見つけ、ネットを通してその能力を磨き、(梅田さんや羽生さんの言葉を借りれば高速道路を走る。)共同体を作り上げ、自分の才能を開花させるとこができるだろうか?そんなことが可能なのは、私には5%程度の優れた人間だけのような気がしてならない。それとも彼も実はそう考えているんだろうか?そしてあれらの本は、その優れた5%に対して語りかけられたものでしかないのだろうか?
梅田さんには色んなことが見えているのだろう。ネットのあり方、社会のあり方、そして次なる新しい技術の革新とそれによる精神的、社会的変革。でもきっと私の自分の内面に見出している向上心のなさと逃避的傾向は見えていない気がしてならない。
彼の本を読んでて沸き起こる悲しみは、自分が得られなかったものに対しての渇望からきているように思える。それは、ズタジオジブリの有名な映画、「耳をすませば」をみた時の感覚に似ている。女子高出身の私には、あんな素敵な青春はなかったから笑、自分の虚無的とさえ思える過去と比較して悲しくなるのだ。自分の過去を否定したくはないし、大事にしている思い出もたくさんあるけど、ちょっとしずくが羨ましくなる笑。
つまり唐突に結論を言うと、私は梅田さんほど楽観的にネット社会の将来を見ていないけれど、彼が語る世界があまりにもきらきらしていて、羨ましくて、そのウェブ・リテラシーというものを身につけられたらいいなと思い、こうしてブログを開設してみたのです。正直PCの知識なんてほとんどないので。これから勉強しなきゃならなことがあまりにも多すぎていやになる。英語だってやらなきゃいけないし、本業の物理をおろそかにしたくないし、本を読む時間は削りたくない笑。でも私も20歳。そろそろ自分の人生の何らかのビジョンを構築したいし、夢中になれる何かを見つけたい。
思ったことを雑然と書いていたら、無駄に長くなっちゃった。
最後に主張。
このブログはコメント大歓迎です。足跡残してくれたら喜びます。
まだ何にもないしこれから面白い何かが生まれる予定も当分はないけど、誰かが通り過ぎてくれたという事実が単純にすごく嬉しい。
このブログは100%自分の為に開設したもの。自分の精神的活動を好き勝手吐露するだけの、自己満足という言葉が最適な内容にしかならないと思う。自分が色んなこと、それは今大学で勉強していることだったり、世界で起こっている問題であったり、最近読んだ本の内容だったり、あるいは家族や人間関係の問題だったりを、建設的に創造的に考えていく為に用意した場所。自分で自分を好きでいられるように、どうにかこうにか磨耗していく向上心を維持する為に作りました。だから本当はこんなのは万人に開放するような性質のブログではないかも知れない。でもどうせ公開しても誰も見ない公算の方が高い。そんなあんまりな事実を免罪符に、パスワードなんかは設けないことにしました。笑
私はたぶん文章を書くのが好き。人を笑わせるのが好き。そういうのを万人に公開する機会が得られたことは、すばらしいことだとは思うけど、同時に怖くもある。私は今までものすごく受動的に生きてきた。でもこれからは能動的に生きて、その自分の努力の結果というものを他者に評価されなければならない。自分の価値が外側から決められて、自分という人間が他者の中である像を結び分類されていく。別にこんなことは今までも普通に起こってきたことだけど、改めて考えてみるととても怖いことだと思う。でも、怖いってことと悪いってことはイコールじゃない。恐怖感は正常な感覚だし、それはきっと克服可能なものだと思う。
前置きが長くなってしまったけど。このブログを開設した直接の理由の話をしようと思う。
直接な理由ではあるけど、それはきっと理由の全てではない。
例えば、水が限界まで入っているコップがあるとする。もうコップの淵よりも高いところまで水がきていて、表面張力だけでなんとかこぼれないでいる不安定な平衡状態。そこに最後の一滴の水が注がれれば、水はきっとあふれてこぼれてしまう。確かに水をこぼしたのはその最後の一滴だけど、その一滴が最後になるまでの過程がなければ、その一滴はこぼれなかった。
私にとってのその一滴がこの本。
![]() | ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687) (2007/11/06) 梅田 望夫 商品詳細を見る |
梅田さんの本は今まで何冊か読んだことはあった。ウェブ進化論、フューチャリスト宣言、ウェブ人間論。そのどれも面白かった。はじめはただただ感心して読んで、(そのおかげで随分なグーグル信者になりました。笑)、次に少し彼のあまりにも明るい人間観に懐疑的になって、今はものすごい焦燥感を覚えたり、悲しくなったりする。
彼の著作の中に出てくる人間たちは誰も彼も若さと情熱があり、可能性にあふれ、そして最終的に善良だ。彼の中の人間があまりにも性善説なんで、私はひたすらそのことに衝撃を受けるのだ。
資本主義は人間の本質は性悪説だと、それが大前提になっているように私には思える。競争を強制することによってクオリティーを保つ。そのメカニズムが狂わないように独占禁止法とかでフォローする。あたかも部屋を片付けることでエントロピーを一定に保つように、外部から自然な強制力が働くシステムを維持することで、市場を正常に保とうとする。そしてそのシステムとは、自然界が自然に採用してきた競争原理であって、原動力は自己を利っして保存したいという欲望であり、これこそが人類がたどり着くべき最終形だ。今は市場が発展していくその過程ではなく、状態はすでに収束するべき場所に収束しつつあるのだ。資本主義者たちはそう考えている気がしてならない。そしてその大前提はやはり、力が働かなければ状況を保てないという、人間=悪の思想だと思えてならないのだ。
だが、梅田さんの描く世界はそれとは違う。人間の善性を前面に押し出したものだ。
勿論、人間の本性を、善悪だけで語ろうとは思わない。そこまで安易な二元論に走ろうというのではない。善悪は、階層構造になっている。私は日々そう思っている。その階層構造という考えのヒントになっているのは、高校の時にみた物理のビデオだった。
それは非常に興味深いものだった。もう詳細は覚えていないが、縮尺を切り替えていくのだ。10倍、100倍、1000倍。例えば自分の手をじっと見てみる。その手は触れる。物質が隙間なく詰まってるように見える。密の世界だ。じゃあそれを拡大してみればどうだろう?やがて原始の世界にたどりつく。原子は疎の世界だ。原子の核の周りに電子が回っているけれども、その空間の中で原子核と電子が占める体積はあまりにも小さい。つまりスカスカの疎の世界だ。そしてこの構造は階層的に繰り返される。疎と密が交互に現れる。地球の密で、太陽系は疎で、天文的なレベルまで拡張されていくのだ。
人間の善悪も同じではないのか?視点を切り替えれば、善にも悪にもなりえる。一人一人の人間の本性は善でも、社会の中では必ず何%かが犯罪を犯す。それは社会の構造自体がそうなっていて、きっとそれは人間の構造のフラクタルでもあるのだ。
私はまだ人間の善悪を止揚できるような哲学は得ていない。でも梅田さんはひたすら人間の善性を前面に押し出している。私にはそれが眩し過ぎてたまらないし、この人本当にこんな明るいアウトルックを持っているのか疑いたくなってしまう。
もう一つ。彼の中の人間はあまりに向学心にあふれている。
3度の飯より好きなことを持っている人間がいったいどれだけいるというだろう?少なくとも私は持っていない。中学生のころは、ご飯を食べるより、漫画を読みゲームをやっていたほうが幸せだった。でも20歳になった今、漫画もゲームも好きには違いないけれども、自分の人生をかけたいと思えるほどではない。
全ての人間が自分の特性を見つけ、ネットを通してその能力を磨き、(梅田さんや羽生さんの言葉を借りれば高速道路を走る。)共同体を作り上げ、自分の才能を開花させるとこができるだろうか?そんなことが可能なのは、私には5%程度の優れた人間だけのような気がしてならない。それとも彼も実はそう考えているんだろうか?そしてあれらの本は、その優れた5%に対して語りかけられたものでしかないのだろうか?
梅田さんには色んなことが見えているのだろう。ネットのあり方、社会のあり方、そして次なる新しい技術の革新とそれによる精神的、社会的変革。でもきっと私の自分の内面に見出している向上心のなさと逃避的傾向は見えていない気がしてならない。
彼の本を読んでて沸き起こる悲しみは、自分が得られなかったものに対しての渇望からきているように思える。それは、ズタジオジブリの有名な映画、「耳をすませば」をみた時の感覚に似ている。女子高出身の私には、あんな素敵な青春はなかったから笑、自分の虚無的とさえ思える過去と比較して悲しくなるのだ。自分の過去を否定したくはないし、大事にしている思い出もたくさんあるけど、ちょっとしずくが羨ましくなる笑。
つまり唐突に結論を言うと、私は梅田さんほど楽観的にネット社会の将来を見ていないけれど、彼が語る世界があまりにもきらきらしていて、羨ましくて、そのウェブ・リテラシーというものを身につけられたらいいなと思い、こうしてブログを開設してみたのです。正直PCの知識なんてほとんどないので。これから勉強しなきゃならなことがあまりにも多すぎていやになる。英語だってやらなきゃいけないし、本業の物理をおろそかにしたくないし、本を読む時間は削りたくない笑。でも私も20歳。そろそろ自分の人生の何らかのビジョンを構築したいし、夢中になれる何かを見つけたい。
思ったことを雑然と書いていたら、無駄に長くなっちゃった。
最後に主張。
このブログはコメント大歓迎です。足跡残してくれたら喜びます。



